ああ前回の自称発達障害にいいね来てる、生まれて初めていいね来てホッとした こんなこと書くと「何ゴチャゴチャわかんねえこと言ってんだ甘えは甘えだろ」みたいに言われるかと思って怖かった、いや大部分の人はそう思うだろうけど、いいねをくれる人もこの世にいるということが分かっただけで僕はほっとした。まさか理解できずにいいねしてるわけではあるまいし。 どうもここんとこ情緒が不安定だ。 もしかしたら、悲しいのかもしれない。何かが僕の、悔しさみたいなものを刺激したのかもしれない。 人を貶めることでほっとする気持ちに、誰も異を唱えてはならない。ましてや勝ち組が罵ってはならない。そうしなければ生きていけない最底辺の人間を、さらにいじめてはならない。 どうしてこんなこともわからないんだろう、と思うことがある。 石からすれば人間は大きい。しかし人間からすれば石など蹴とばして遊ぶ玩具なのだなあ。 小学生の頃はずっと、そんなことばかり考えてた。どうやって死のうか、そんなことばかり考えてた。 そのときに、発達障害という呪文を知っていれば、僕の呪いは解けた。でもそうじゃなかった。「現実」の違和感に答えを見つけられないまま、ずっとずれた人生を歩んできた。 だから、もういいかなあ、と思わないでもないんだ。 ワクチンねえ・・・・。どうでもいいな。 子供の頃は、助け合うことが友情だと思ってた。 だけど明らかに釣り合わない人間とは、助け「合う」ことはできない。 僕ができると思っていたことは、まったく、だれにとっての価値にもならなかったんだ。 どんだけ話しても、話しても、違いばかりがあらわれて、それで僕は、ああ、理解されないなと傷つくだけなんだ。 罵られて、誤解されて、僕が悪いみたいに、言われて、 僕は悪いんだと思うあきらめた心と、どうして僕が怒られなくちゃならないのという悲しみの折り合いがつけられない。 すべてが誤解から来るものだと言うなら、それはとてもありがたいことだ。 だって僕が悪いわけではなかったのだから。 だから発達障害は、うれしい。 まあようするにまとめると、 発達障害というのは思ってるよりやばいものなのかもしれない 何が発達障害で何が性格なのか、今後も解明していく必要あり